ITUトライアスロンアジアカップ村上大会レースレポート

日時:2015年9月20日 スタート男子9:20 女子9:35
開催地:新潟県村上市
スイム:1500m バイク:40km ラン:10km
水温:21.4℃  気温:19℃  天候:雨のち晴れ
エリート男子
 1位 ヘオ・ミンホ     韓国               1:46:03
 2位 キム・ジハン    韓国               1:46:35
 3位 田山 寛豪    NTT東日本・NTT西日本   1:47:11
 4位 渡部 晃大朗   明治大学             1:47:20
 5位 キム・ジュソク   韓国                1:47:28
 6位 杉原 賞紀    流通経済大学          1:47:52
 7位 石塚 祥吾    日本食研                1:48:15
 8位 前田 凌輔    バレッツ              1:49:22
 9位 下村 幸平    ボーマレーシング・セノビック 1:50:30
 10位 古山 大     流通経済大学          1:51:51
 26位 竹内 鉄平   チームあすたま           1:54:33

使用機材
バイク      CEEPO MANBA
ホイール     F:SHIMANO C50 R:SHIMANO C75
ヘルメット    SPECIALIZED  S-WORKS EVADE
ウェア       Z3R0D oSUIT
バイクシューズ FIZIK K5 UOMO
ランシューズ   ASICS SORTIE MAGIC RISE


今シーズンは6月のレースでふくらはぎの肉離れをしてしまい、2ヶ月間全く走れない期間があり、8月頭に岩手県釜石プレ国体レースに怪我を押して出場したことで、更に状態が悪化。ジャパンカップ最終戦の村上大会にエントリーはしていたものの出場は絶望的な状況であった。一度は出場を諦め、早々にオフに入って、来シーズンに向けて準備を進めていこうと考えていた。

しかし、藁にもすがる思いで受けた微弱電流治療が功を奏し、3週間前からラントレーニングを再開することができ、急速に状態も回復してきたことから、出場を決めた。もちろん付け焼き刃のトレーニングで、日本選手権の切符を手にできるほど甘くないことは十分承知の上。目標は、今の力を出し切って、来シーズンに繋がる(手応えを得る)レースをすることとした。

金曜日、名古屋で朝スイム指導後、最後の治療に行き、チームメイトと新潟県村上市まで車で約7時間かけて移動。その日は途中休憩で立ち寄った姨捨サービスエリアで身体をほぐすため15分ほどジョグをした以外は特になにもせず、温泉で移動の疲れを癒やした。外は豪雨。時折激しい雨音が打ちつけている。

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翌日、小雨の降る中、朝6時からクロカンJogで身体を目覚めさせ、1km×1本刺激入れ。8割の感覚で3'35。足の痛みはなし。ランのトレーニング期間を考えれば上出来だ。おそらくレースでは3'40~45ペース(10km36~37分)がいいところだろう。朝食後、小休憩し、スイム会場へ。雨が上がっていたので、まずはバイクでコースを試走20km。途中5kmほどレースペースで刺激を入れる。一番トレーニングができていたバイクは調子が良い。そして最後にスイム。課題のスイムの調子は・・・いまいちだった。泳ぎこみができておらず、練習でも調子が上がってきていなかった。やはりそのままレースを迎えることになってしまった。

ドラフティングが許可されたエリートレースにおいては、スイムで出遅れてしまうと勝負にはならない。勝負に絡むためには、なんとしてでも第2集団までには入る必要がある。しかし、現状の泳力はどう頑張っても400mで4分30~35秒程度。恐らく先頭集団は4分~4分10秒。第2集団は4分10~20秒。第3集団は4分20~40秒といったところ。順当にいけば第3集団だろう。そんな自分が泳力以上の位置で上るためには、レースの流れに乗ること、勝負ポイントを見極めることが求められる。これは経験に依るところが大きい。

スイムに不安を感じながらも、あとはしっかりと休んで超回復を期待するのみ。競技説明会までの3時間は宿で身体を休めた。16時からの競技説明会に出席。今回の男子エリートは75名と定員いっぱい。知った顔もまだまだ多いが、半分以上は顔も名前もわからない学生を中心とした若手選手。男子出場選手の平均年齢は24歳。自分(39歳)は上から2番目。年齢を言い訳にはしたくないが、スピードでは若手選手に太刀打ちできない。20年の競技経験をどう生かすか?それが鍵だ。最年長で同じ東海地区の疋田浩気選手(静岡県)や、同年代の小池賢選手(千葉県)と言葉を交わし、明日の健闘を誓い合う。その日は夕食でしっかりとエネルギー補給をして、10時には就寝。外では雨音が続いていた。

大会当日。雨は降っているもの、空は明るみ始めていた。恐らく雨は止むだろう。5時に起床し、軽く体操とドリルを行う。宿のバイキング朝食を食べた後、車をフィニッシュ地点まで移動(スイム会場とフィニッシュ会場が離れているため)。そこからアップを兼ねて自走でスイム会場まで向かう。トランジションをセッティングした後、ランのアップを15分程度。スイムアップは身体を冷やさないように5分で切り上げスタートに向けてコンセントレーションを高めていく。

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今回はNo.33までの選手はスタート位置を優先的に選ぶことができた。幸いレースNo.は「28」と比較的若い番号をいただけた。ナンバー順にコールされて、ビーチに並んでいく。ブイに近いイン側から埋まっていくが、「9番」のスターティンググリッドが空いているのを目ざとくみつけ、そこに入り込む。周りはランキング上位の選手ばかりで流れに乗りやすい。スタートはフローティングスタート。コースはコースロープに沿って直線折り返しの750mを2周回。一度浜に上陸する形だ。

横一線で75名の選手がスタート。まずはインに切り込みコースロープ沿いまで移動。この方が流れに乗って最短距離をまっすぐ泳げるためだ。乳酸を溜めないように、リラックスしながら腕を速く回す。まずまずのスタートを切れたように思った。しかし、前の選手が思いのほか遅く、前後左(右はコースロープ)を塞がれて身動きが取れない状況に陥ってしまった。「バトル」と呼ばれる状態である。前に出ないと、先頭集団からは置いて行かれるが、この状況から前に出るには相当な体力を消費する。諦めてそのまま350m先の第一ブイまで流れに身を任せる。そして、ブイを回るときに、ギアを上げて、インから一気に切り込む。沈められることなく、アウト側の選手10人位を抜くことができた。あとは前の選手に食らいついていく。数人のパックで泳ぐことでかなりエネルギーの消費を抑えることができるので、ここは絶対に離れてはいけない。

第2ブイを回って、一度上陸。前方の集団を目視で確認。自分たちのパックとは少し間が空いているようだが、30秒程度と想像したよりもそれほど大きな差ではない。ここで前の集団に追いつけるかどうかが大きく展開を左右する。2年前の村上大会ではここから猛チャージして先頭集団のケツまで上がることができた。しかし、現状の泳力ではその位置をキープするだけで精一杯だった。青いレースウェアのギリシアの選手の後ろについて粘る。後半はまったりしたペースとなってしまった。恐らく先頭集団とはかなり差が広がってるはず。バイクでの追い上げに期待するしかない。そのままの位置でスイムアップ。20位でトランジションに駆け込む。

トランジションを出てすぐにシューズに足を入れる。トランジションを出てすぐに短い急坂が待ち受けている。そこはダンシングでスムースにクリアできた。目の前には外山高広選手(東京ヴェルディ)。1ヶ月前の釜石大会ではスイムで1分の差を付けられていたので、この位置は悪く無いはず。更に前方に3~4人の集団が見える。シューズが履けていない外山選手に声をかけ、一気に前の集団までキャッチアップ。後ろを振り返ると外山選手は後方に。ここが集団の切れ目だ。学生数人と下村幸平選手(ボーマレーシング・セノビック)、海外選手数人で集団を形成する。5km地点の上り坂に入るところで前方の疋田選手、遠藤樹(トヨタ車体)らも吸収。集団は12名ほどとなる。坂を下りきって海岸線沿いの高速コースに入り、さあこれから前を追おうか、というところで集団中盤で接触により落車が発生。3人の選手が吹っ飛んでいくのが目に入った。ヤバイ転け方だ。

集団の人数が減ったが、単独で前から落ちてきた山下陽裕選手(立教大学)を吸収して10名となる。ローテーションが機能すれば、前を追える人数だ。しかし、力のバラつきから集団はうまく機能しなかった。皆に声をかけ、自分と疋田選手、下村選手らが、積極的に先頭を引く。全員が均等に順序良く先頭を交代すればよいのだが、前に出てこれない(こない)選手がいると、そこでローテーションが乱れて止まってしまう。期待していた海外選手もほとんど先頭交代に加わらない。逆に力のある選手が強く引くと、後ろの選手と間隔が開いてしまいリズムが崩れる。最悪のパターンだ。これでは前に追いつくはずはない。まずい、まずいぞ...。

折り返しで9名(田山、渡部、杉原、石塚、前田、古山、韓国3人)の先頭集団とすれ違う。統制が取れている。その差は約2分。逆に後続の集団がすぐ後ろ30秒くらいまで迫っていた。これは後ろを待つべきだと直感的に感じた。しかし、集団は追い風になったことで、ペースを上げていく。自分も思い直し、ローテーションに加わるが、30km地点で後続集団(10名)に追いつかれてしまう。やはり無駄足だったか...。そこからは集団が大きくなりすぎてペースが上がらなくなったため後ろに下がってランへと脚を残す走りに切り替える。

最後の直線の位置取り争い。大集団の場合、前方でトランジションに入ることで5~10秒のアドバンテージを得ることができる。ラスト1km地点、疋田選手が飛び出し、それに下村選手が反応する。それについて前に上る。思惑通り、集団の頭でトランジションに入る。13位でランスタート。先頭とは3分差。

ランは村上市街地を走る。ここからは我慢の走り。どんどんと抜かれていくが、実力以上の力は出せないので、自分のペースを守って走る。呼吸には比較的余裕があるが走り込み不足が影響して動きのキレがない。2km地点で止まっていた疋田選手に声を掛けパスする。そこから自分より20歳年下の塩入巧望選手(東京マリン西新井スイミングクラブ)と並走が続く。一人で前を追うより、二人のほうが気持ちが切れないため、「前に見えている3人を食うぞ!」と塩入選手に声を掛ける。塩入選手も「ハイ!」と応えてくれる。塩入選手のペースが落ちると自分が前に出て引っ張る。逆に自分がきつくなってきたところは引っ張ってもらう。

後続集団からランの得意な選手たち、梅田祐輝選手(サンクスアイ)、平松幸紘選手(日本食研)、佐藤謙太郎選手(日本大学)、末岡瞭選手(京都府)に抜かれる。抜かれる度に少しでも後ろについてピッチを合わせる。ラスト2km地点でどうにもこうにもキツくなってきて、それまで並走してきた塩入選手との差が2~3mつき始める。この数mを埋めないと、一気に差が広がってしまう。ここは我慢のしどころだ!離されるな!と自分をプッシュする。しかし、5m...10mと差が広がっていく。ここで粘れるかどうかは練習の差がでるところだ。わかってはいるものの、残念ながら、それまでの練習しかできていなかったということ。塩入選手は前に見えていた3人を抜かして22位。自分は26位でのフィニッシュとなった。フィニッシュ後、力を出し尽くして戦ったライバル達と握手をかわす。ありがとう...。

怪我からの復帰戦。実質的なトレーニング期間は1ヶ月。今持っている力はすべて出しきることができた。正直ここまで走れるとは思わなかった。しかし、満足はしていない。まだ自分はこの距離でも戦えるという手応えを掴むことができたからだ。課題は明確。スイムで1分、ランで2分。合計3分縮めることができれば、トップ10争いができる。そして、そのためにやらなければいけないこと(練習)もわかっている。「できる、できない」ではなく「やるか、やらないか」だ。来年40歳になる自分がエリートレースで戦える期間はもう長くはないだろう。もう一度あの舞台(お台場)で戦いたい。その想いが確認できたことが今回のレースの一番の収穫だった。

来シーズンに向けて...俺達の真の戦いはこれからだ!
応援、ありがとうございました! 

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